2022/10/03 22:05

私たち家族は2018年春に神奈川県横浜市から、まずは長野県須坂市へ移住しました。

と言うか、家族にとっては突然でも私自身は着々と準備をしていたのですけどね。


思えば私は子供の頃から牧歌的な所が好きでした。

父が埼玉県桶川市、母が神奈川県横浜市の出身なので小学生の頃から夏休みに友達が田舎へ帰省してホタルをみたり、虫取りや魚釣りをしてきた事が羨ましいと思っていたのでした。


しかし、長い間田舎へ住む事は現実的なものは捉えていなくて、単なる憧れでした。


父はサラリーマンで母は専業主婦。

横浜市保土ヶ谷区の大規模団地で生まれてからずっと核家族だったので、祖父母や親戚との同居経験も無く、両親だけが人生の先生として育ち、大人になったら漠然と普通(なのかなあ)に父と同じ様に会社員として横浜市近辺に住むんだろうなと思っていました。

実際に神奈川県相模原市出身の現在のカミさんと結婚し、2人目の子供が産まれたタイミングで横浜市緑区に新しく出来たニュータウンに新築マンションを購入して2018年まで住んでいましたし。


でも、極めてありがちな理由から、地方移住は単なる憧れだったものから変化し、移住について真剣に考える様になりました。


きっかけは2011年の東日本大震災です。

2011年当時は義父が相模原市でやっていた会社を継ぐために長年勤めていた某ケーブルテレビ会社を辞め、義父の会社で仕事をしていました。

そして3月11日午後、あの大地震がやってきました。

その後は地震の影響があった地域に住んでいる皆さん同じだと思いますが、電気も止まってしまったため信号機も動かず、一刻も早く家族の元へ帰りたいのに通常40分程度で帰宅出来るものが4時間位かかり、その後も長い間計画停電で電気が使えない時期が続き、ガソリンスタンドも長蛇の列だし、さんざんな状況でした。

住んでいたマンションは便利な所にあり、マンション目の前に大型ショッピングモールや大型ホームセンターがあって、都会では当然ですが徒歩圏に様々な店が立ち並んでいるような所でした。

それまでは目の前のショッピングモールは冷蔵庫や食品庫の代わりになるし非常に便利だと思っていましたが、地震の後はお金はあっても食料をまともに買うことも出来ない状況になるし、今後もし南海トラフ地震が発生したら大事な家族を守ることが出来なくなるのではないか?と考えるようになりました。それに北朝鮮の情勢も怪しかったし、万が一戦争になったとしたらまず東京近辺が狙われるのではないかとも思って、それならば東京圏から離れて食料を自分で作る事が家族を守る事になるのではないかと思い、農家になるべく田舎への移住を真剣に考えるようになった次第です。